永瀬豊の場合

茶道日誌003 不識水指(ふしきみずさし)

サーバー代が忘れた頃にやってきた。これを高いと見るのか安いと見るのか、人によって意見は様々であらうが、決して安くはない。と、再認識したところで、八月なんだかお疲れモードで過ぎ去った今、九月の初めに少し心の余裕をもって望まないと自分が壊れてし...
永瀬豊の場合

茶道日誌002 桑小卓(くわこじょく)

文月 蓮始開(はすはじめてひらく) いつのまにやら7月で、気づいたら、紫陽花の時期も終はってゐた。 時折、蝉の声も耳へと入る。しとしとと、降る雨はどこへやら。 にわか雨とは言ひ難い、ゲリラ豪雨が市中を襲ふ。季節は小暑の夏。 日暮れの時間にコ...
随筆・本・書評

読書日誌001 伊豆の踊子 / 川端康成

読書日誌と銘打って、果たしてどれだけ続くのかわかったもんぢゃない。001と言ってみたって、10や20すら、続くかどうか、そんなことわかりゃしない。それでも良い機会である。試しに、なんだか気持ちも色々と、すべてがまあまあ落ち着いて、本棚の整理...
永瀬豊の場合

茶道日誌001 楊万里

週に一度のお茶のお稽古。 お茶の先生のところへ行くと、稽古終りの、先生との雑談的なお話がまた毎週の、個人的楽しみでもある。 大人になってから、特に30歳を越えたあたりから、壮年而立、なかなか誰かに教へてもらふことだとか、新しいことを誰かに学...
仕事・バー・カクテル

密な接客ができない時に【コロナ禍のジレンマ】ソーシャルディスタンスの罠

思ひの継承は簡単ではない ・自分で何とかしなきゃ、と思ってゐたころは(たぶん3,4年前ぐらゐまで)すべてのお客様に来店からお帰りまで「ひとつのストーリー」を提供しなきゃと、せっかく常滑に来て、せっかくウチに来てくれたのだからと、ある種、気負...
随筆・本・書評

essay【ほんとうのゆたかさとは何なのだらうか】withコロナの時代において

ゆたかさの正体、雲に似たそのカタチ 「経済的な豊かさの追求」は発展途上の国々において数値的にも見た目的にも、あからさまにわかりやすく求めやすい「ゆたかさ」であって、幸せ=豊かさ(お金持ち)であるといふ図式は確かに求めやすくわかりやすい。 し...
仕事・バー・カクテル

work【DXとUXに直面する】リアルとデジタル、アナログとバーチャル、すべてが現実である話

DXとUXに、リアルに直面してゐる。 アフターデジタル いまの現店舗に勤めて、早7年になる。前の店舗から数へたら11年。現オーナー(ぼくの師匠)と2人でやってゐた11年前から随分と、振り返ってみれば色々と移り変はって、世界もぼくも、そして僕...
永瀬豊の場合

essay【余裕とは余白であり遊びである】余裕がないといふ鉱物的硬さの嘆き(雑文)

3月に入り、国による緊急事態宣言は解除され、地方自治体独自の自粛要請も緩和されて、ぼくらの時間的には「日常」が多少、ほんの少しだけ戻ってきた。戻ると言っても、コロナ前の「日常」が全く同じ形で戻るといふことは決してなく、これからもビフォアコロ...
永瀬豊の場合

essay【茶道の所作に見る大切なこと】ふくさの折り方しまひ方ひとつで、何もかもが崩れてしまふ世界観の話

枠組みがなければ、それがはみ出してゐるのかすらわからない 書道を習ってゐたころは、まだまだ幼く、幼いながらも覚えてゐること、からだで覚えてゐることは、礼に始まり礼に終るといふことぐらゐ。もちろん、綺麗な字を書く時間ではあった。が、いま思へば...
ヒト・コト・モノ

daily product【お気に入りのMARKS&WEB商品5選+α】男のぼくが選ぶ好きなモノたちの話

もう2月ですね。 コロナ禍から早1年、ビフォアコロナとウィズコロナの間で皆さまの生活もだいぶ変化があったのではないでせうか? ぼくも仕事では、緊急事態宣言や新しい生活様式により、働き方が大きく変はり、プライベエトの生き方もそれに伴ひだいぶ変...