【雑文】水無月に思ふこと

随筆・本・書評

カミュの「異邦人」と祖母の死

祖母が先日亡くなった。91歳、大往生ではあるが最後は少し本人辛い気持ちもあったであらう。ここ数ヶ月はいつどうなっても不思議はない状態ではあった。順番だから、とは思ひつつも、葬儀を経て、骨になってしまふ姿を見れば、なんだかやはりなんとも言ひ表せない「狭間な気分」といふやうな感情が襲ってくる。魂は救はれても無機質に残る骨の残骸。この世のさだめと言へばそれまでで、いつの時代も変はらぬ生きることと死ぬこと、それこそが人間の持って生まれた平等性。生きて産まれたものは皆最後は亡くなる。人はその点平等である。

ふとカミュの異邦人を思ひ出した。冒頭のあの一節。きょう、なのかもしれないし、もしかすると昨日かもしれない。それでも死んだことには変はりない。亡骸は荼毘に付し魂は天に昇った。

へッシェル「シャバット」について

もうひとつはヘッシェルの「シャバット」について。ひとが人として生きる上で誰にも平等に訪れる「死」ともう一つの平等性「時間」ユダヤ教の神学者ヘッシェルの「シャバット」はその時間について穏やかながらも渺茫な様で語る。

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