【茶道】お茶、はじめました。

永瀬豊の場合

かねてからお伝へしてをりました、

茶道

本日より入門いたしました。

お稽古はじめ

先生のところへ行くまで、家を出る前からなんだかソワソワしてをりました。お茶を習ひたいと本格的に昨年から思ひはじめ、縁あって知人のご友人がお茶の先生だといふことで、昨年末見学に伺ひ、線の使ひ方、指先の使ひ方、諸々全てぼくが求めてゐたやうなものがそこにはあったので即習ふことを決めました。何もわからず、本当のお稽古初め、小学生の頃の書道を思ひ浮かべるやうなドキドキ感。不惑に近づいてなほ、かやうな経験ができることは初心に還れるよい機会で、有り難く思ひます。

道具、言葉、佇まひ

ひとつひとつが新鮮なので、心新たに居れます。

驕ることなく、謙虚に

松竹梅なのかなぁ、とか、そもそもお辞儀はどうすればよいのかとか、手はどちらが上? だとか、文字通り右も左もわからずに、見様見真似で先生が教へてくれることはそのまま真似て、あっといふ間に時間は経過していきました。

学ぶとは真似ぶことと再認識しつつ、真新しい一歩が心地よい充足感をもたらしてくれました。

道具、言葉、所作ひとつひとつ学んでいかう。

まずはパートごとにひとつひとつ。

初釜、濃茶、薄茶

コロナ禍が続く昨今、人の集まり密集、接触を避けながら、あらゆる組織があらゆる努力をして集まらずして集まるやうな工夫をしてゐる。初釜といふ、その年最初に行はれる稽古、儀式。今年は今まで通りは開催できない模様で、それもまた今を生きるといふ意味では来る者拒まず、良い体験のやうな気もしてゐる。どちらにせよ、初めてなのだから、心持ちは変はらない。

お点前を見せてもらひながら、濃茶(こいちゃ)、お菓子、薄茶(うすちゃ)、干菓子(ひがし)、知らぬ言葉を聞き取りながらあっといふ間に過ぎゆく時間。

先生に懐紙をもらひ、美味しく戴いた。

最初の道具【帛紗・帛紗挟み・懐紙・扇子・楊枝】

バーテンダーでいふところの、バースプーン・ジガー・ミキシンググラス・シェイカー的な、最初に絶対に必要なものをゲットし今年も腐らず、停滞を避け、一歩一歩少しずつ前へ進んで行かうと改めて思ふのでした。

最初のお稽古【帛紗捌き】

左はほとんど動かさず、右手を使ふ。

これはバーテンダーのシェイクを学んだときと同じで厳密には右も左も使ふのだけれど、意識の問題と使ひ方。そんなことを書きながら日記調になってしまふ。

  1. そもそも帛紗の折り方は流派によって違ふのか?
  2. 帛紗捌きは流派によってどれほど違ひがあるのか?
  3. 茶道と現代社会との交差点とは?

そんなことを思ったのでした。

まとめ【茶道】初心者の稽古始め

こころとこころを通はせることが本来の意味であるのなら、現代社会こそ茶道を欲してゐるし学ばねばならないのではないだらうか。集から個へ、個から孤へならぬやうに、茶道といふ日本が見つけ辿り着き続けてきた「こころ」を今一度、現代人、ぼくらは学ぶべきではなからうか。

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