茶道日誌001 楊万里

永瀬豊の場合

週に一度のお茶のお稽古。

お茶の先生のところへ行くと、稽古終りの、先生との雑談的なお話がまた毎週の、個人的楽しみでもある。

大人になってから、特に30歳を越えたあたりから、壮年而立、なかなか誰かに教へてもらふことだとか、新しいことを誰かに学ぶこととか、それこそ新しい人たちの輪の中に入ることなどは、なかなかどうも少なくなってきた。

その中で、三十代後半、お茶の世界に足を踏み入れたことは個人的にはとてもよかったと思ってゐる。

生きる空間、住まふ時間を、広々と大きく広げてくれた。茶道に時間を奪はれれば奪はれるほどに、時間が生まれるといふこの感覚こそは、余白の美とも言ふべき、余裕、なのであらう。

茶道は何もお茶を点てること、それだけが茶道ではあるまい。そこに在るすべてのヒトコトモノ、空間時間が織りなすその瞬間瞬間、その刹那こそが茶道の本質であらう。まさに一期一会、そこには今しかないし、今にすべてが集約する一時。

軸と花。

掛けられた軸、活けられた花、そこから学ぶことは多々あり、またそれは多岐にわたる。

  • 木槿むくげ
  • 楊万里ようばんり
  • 山本石荘やまもとせきそう
  • 澄心静慮ちょうしんせいりょ

楊萬里

今回は特に、楊万里について興味が湧き色々と個人的に調べてみた。が、漢語のサイトにしか詳しいことは書かれてをらず(それも詳しいのかどうかは定かではない)、なかなか調べるのに苦慮した。今でもまだ全容はつかめてない。

ただ、南宋時代に活躍した人物であり、詩歌に優れ、また写実的なものをよく詠んだやうである。そのあたり「そのまま」を写した風景が、茶の席にもまた題材としてよかったのかもしれない。

大葉聳長耳 一梢堪満盤

枇杷茶や転じて琵琶床なども相まって枇杷の絵に楊万里を、山本石荘は選んだのかもしれない。

読むべきは、誠齋集、四部叢刊、楊萬里。

まだまだ知らぬことが多いし、教へられることは多々ある。大人になってからお茶を習ふことは、なかなかよい年のとり方であるこだらうなと、そこに身を置いて、我が身を持って感じてゐる。了

コメント

タイトルとURLをコピーしました