密な接客ができない時に【コロナ禍のジレンマ】ソーシャルディスタンスの罠

仕事・バー・カクテル

思ひの継承は簡単ではない

・自分で何とかしなきゃ、と思ってゐたころは(たぶん3,4年前ぐらゐまで)すべてのお客様に来店からお帰りまで「ひとつのストーリー」を提供しなきゃと、せっかく常滑に来て、せっかくウチに来てくれたのだからと、ある種、気負って、常滑のBARのバーテンダーとしてカウンター中心に立ってゐた。

・コロナになる前の2年間くらゐは、お店としてといふよりも、会社として、今思へば業界のリーディングカンパニーとなるべく自らの働き方も変ってきた。人も増へ、社員も増へ、別に日々の業務それ自体は誰かが出来、自分がやる必要もないことも増へてきた。

・では、みんなの意識はどうなのか? 仕事をやらされてると捉へるのか、ただ与へられた仕事を処理してゐるだけなのか、ぼくがやってきたコロナ前の5年間は、うまく彼ら彼女らに引き継げたであらうか? 辛うじて共栄窯の火種がLEDのライトで、当時の面影を投影し続けてゐるやうに、ぼくのバーテンダーとしての思ひを、しっかりと引き継げてゐるであらうか。

BARといふ名の一括罠

・人が集まってはいけないといふ、致命的なコロナといふ禍ひ、ソーシャルディスタンス、マスク、アルコール消毒、待て待て待て、そもそもBARとはソーシャルディスタンスそのものであるし、カウンター内でのマスクには最初抵抗があったが、飲食店としてはマスクも手ぶくろもそもそも仕込みの時には使ふべきなので、次第にマスクでの接客にも慣れた(が、声が聞き取りにくかったり表情がわかりにくかったり微妙なニュアンスがより分かりづらくなったのかもしれない)アルコール消毒も、まあ外から来たのなら昔から言はれてゐる手洗ひなどとそれほど変はりはしない。

・BARなんて、そもそも大勢で集まってどんちゃん騒ぎする場所でもないし、独りで楽しむか、数人で密かに密談でもするやうな場所。ある種、密な場所。でもみんなが言ふやうな「密」ではない。「密な関係」の「密な話」を「密な接客」で味はふ、3密はバーテンダーの、BARの元々専売特許だったのに、よくわからぬ3密に取って代はられた、やり玉に最初にあげられたBARといふ存在。

・貴殿の言ふ「BAR」とは、所謂別の「◯◯バー」のことであらう。一緒にされる現状は真摯に受け止め、ぼくらはぼくらの出来ることをするしかない。

21世紀を生き抜くために

・転禍為福、災ひ転じて福となす、コロナ禍になって、よりスピードアップした変化への対応、レジリエンス、フレキシブル、ユビキタス、働き方改革も急ピッチで仕掛けて急いでライフワークバランスを整へて行く。DXとUX。遅れてゐることは、とりあへずやってみる。ぼくの脳内と身体にしかない情報と体験、技術と知識を具現化し、可視化する。

・さて、コロナ禍以降、急速な変化に付いて行けない人も出てくる。しかし、取り残すことは、我らの会社意識に反する、チームとしては置いて行けない、どうしたらちゃんと進めるのか、どうしたら路を間違へないか、舵取りを任されてはゐるが、荒れた航路と、舵を取りたい人と、船酔ひしてる人と、関係なくひたすらトランプでもしてゐる人間と、果てさて、ちゃんと目的地に着けるであらうか、大丈夫、路は間違ってない。

・と、思ったが、ふと我に返り、果たして僕の100%を上位互換してお客様までに還元できてゐるだらうか? きっとできて居ない。20%ぐらゐしか、ぼくのイメージや会社のイメージを共有できてゐない。体験は薄くなり、感動は薄れて、浅い夜しか経験できない。そんな店ではないのに、しかし、僕自身の働き方は変った、昇華しなければならない。100%が20%になってゐてはいけない。むしろ、60%を80%にしなければ、いけない。

・自問自答、せっかく来てくれたのに…

・店づくりは人づくり、でも人はすぐには変はらないし、人は他人が変へれない、自分で変はるしか、人間は変はれない。であるならば、まずはエントランスやメニューにDNAを注ぎ込むだけ。あとは個性と長所にフォーカスして、最低限の規範で動くのみ、フレキシブルに順応しながら、心地よい場所を作るだけ。

・アテンダントも考へないと、よりよい体験の為に。

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