essay【むかし買った古本に挟まれてゐたある切り抜き新聞の話】

随筆・本・書評

或はエドガール・モラン「ソ連の本質」について

人間の本質は関連付けることにある。

関連付けるとは、運命性であったり偶然性であったり、

何かが起きたときに、これは〇〇があったからだとか、

〇〇によって引き起こされたのだとか、

AとBとがまったくの別々のモノではなく「AによってBがもたらされたのだ」といふ、さう必然性。

この世界の法則性はそのまま人間にも当てはまる。

数年前に買ったエドガール・モランの本たち。

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エドガール・モランを読まうと思ったきっかけは、ジャン・ボードリヤールである。

このジャン・ボードリヤールについてはまたそのうち語るとして、

このことですら、仮にぼくがボードリヤールを読んでゐなかったのなら、きっと、一生、

おそらくはエドガール・モランといふ人物に出会ふことはなかったであらう。さう言っても、決して過言ではない。

ボードリヤールとモランの共著「ハイパーテロルとグローバリゼーション」

その本をこの手に引き寄せたからこそ、ぼくはモランに出会へた。

これは間違ひのない事実である。と同時に偶然でもある。人間世界の、この、必然性。

ここで唐突だが、常々思ってゐることをここに書いておかう。

この世界の法則について、万有引力の法則。

引力。重力。

重力は人間にも物にもこの世のすべてのあらゆるモノすべて、存在する物体全て、それは重力に影響されるということ。

大きければ大きいほど重力はもちろん大きくなる。物を引き寄せる能力も比例して大きくなる。

数年前に買った本を引っ張り出すことになったきっかけは旧ソ連、現ロシアのウクライナ侵攻である。この人間的な愚かさを象徴してゐる歴史的事件がぼくの手をモランの著書「ソ連の本質  社会主義的複合体と新たな帝国」に導いた。

古本で買ったその本の裏表紙に、古い新聞の切り抜きが挟んであったーーー昭和61年◯月◯日

その日付は僕の誕生日であり、1984生まれの僕がちょうど2歳になったときの新聞のスクラップであった。これを運命と言はずしてなんと言はうか?偶然?必然?さう、人間とは、関連づける生き物なのである。

人間は複雑性の塊である。この身体、容器に何を詰め込みインストールし行動するかでヒトの生きる道は幾重にも分かれる。大事なものを積み忘れてはいけない。大切なものを入れ忘れては人間は見事に道を外れて行く。例へ、大事なものを入れてゐたとしても目新しい快楽的な欲望を満たすやうなあらゆるコンテンツがこの世の中にはもはや無限に広がってゐる。大切なものなど、大事なものなど、すぐに埋もれて見えなくなり欲望のまま堕落して行く、人間とは傾斜して転がり行く生き物なのである。惰性的に、安易に、楽な方に。

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