正しいことは正しいだけで正解とは限らないといふこと

みなさまいかがお過ごしでせうか.

どうもわたくしはこの2月と3月は所謂「鬼門」ともいふべき状態に心身ともにやられがちとなるやうで、特にことしは心の方がメンタルがやられてをります.

さて昨今の世の中や界隈の様子を伺ってをりますと、なにやらどうも正しいことを正しいといふだけな、間違ってゐることを間違ってゐると指摘するだけの状況が多々見受けられるやうに感じます.

ふつうに考へたら正しいことは正しい、間違ってゐることは間違ってゐるでよいやうに思はれるのですが、事はさう簡単ではありません.

我々人間といふものは正しいといふ概念、間違ってゐるといふ概念ともに幼少期から教へられ育てられてきますが、時代の変遷とともにそれら概念も多少の変容を遂げながら、それでもそのコミュニティにとってある種の普遍的な正しさといふものを身をもってして覚えていきます.

しかしながら、人間さう簡単な生き物ではなく、むしろ複雑の中に生きてをり、また我ら人間自身そのものが複雑系で成り立ってをります.

だから正しいことが正しいままに行はれずに少し横道逸れたことをしてみたり、正論を咀嚼して正しいやうな道筋を探ったりします.

あなたの言ふ正しさとは本当に正しいものでせうか?

一度問ひかけてみることが重要です.

我々日本人の特徴として空気を読むといふか暗黙の了解といふか、そのやうな世間といふ名の空間領域としての重力的マナー感があります.

昨今の権利の主張ばかりして他人に色々と言ふやうな風潮は元来好まないやうな人種なのでせうが、また人種などといふ言葉を使へば突っかかるやうな人がでてくるでせうか.

最近、近しい人や人生に影響を与へてくれた人々の旅立ちが目立ち、また世界的な不穏な争ひが立て続けに起こりつつあるのをみてゐて、自分自身の宗教的なものを少し考へてみる機会を得ました.

私は神社に詣るし、寺に墓参りに行くし、天理教たる親族の関係で天理に参る場合もある.

クリスマスにはプレゼントを交換するし、ハロウィンにはイベントをする、日曜日には休みたいなぁとも思ふし、髭を伸ばさなきゃとも思ふ.

ぢゃあ自分はなんの宗教を信じてゐるのかといふと積極的にひとつのものを信じて居ないところをみると、典型的な、日本人のアミニズム的多神教的な天照大神をゆるやかに頂点とした宗教観を持ち合わせて居るやうに思はれる.

が、更に日本人の特徴たるハイブリッド性といふか何といふか和魂洋才に代表されるやうな、よいところを取り入れて自らの地で昇華させるといふなんとも複雑怪奇極まる特徴を我々は持ち合はせてゐる.

にもかかはらず、正しいだとか間違ってゐるだとか本来は言へるやうな土壌に育ってゐないのに今はそれをきっと強要させられ定着し日本人自身で混乱をきたしてゐるのだ、元来できないことをして居るのだから.

正しい気がするとか、なんとなく間違ってるやうな…みたいな曖昧として霧霞むかのやうな答へともいへぬ答へが日本人の特徴である.

が、このなんとなくの精神のなんとなくな平和が崩される危機が訪れたとき世界でも有数な過激な怒りが爆発するのも日本人の特徴である(火山の爆発や突然の地震などに似た国民性、そもそも山は静かにじっとしてゐるがある日突然爆発する、地震も津波もさうである)

今の世の中に溢れる最もらしい正しさは、実はただ正しいだけで正解ではないのではなからうかといふ問ひがここから先重要になってくるであらう.

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