自己プロデュースと自分アップデート

永瀬豊の場合

これからは情報化社会、と言はれてから早20年は過ぎたかと思ふ。

感覚的にも実際にも20年といふのはきっと妥当な数字だ。

なぜなら僕が高校生の頃、ケータイが普及し始め、その後の急速な情報化の波の中を、僕らはケータイ片手にちょうどビート板のごとく使ひながら20年間泳いできたからだ。

ちょっと、ここで、この20年くらゐをざっと思ひ出しながら振り返ってみよう。

ケータイ以前ケータイ以後 ポケベル世代は僕らよりも歳上世代

当時はJ-PHONE(現Softbank)やTu-Ka(現KDDI)が手にしやすくdocomoはちょっと大人な感じだった。あとから振り返ってみれば、黎明期といふよりは発展期で、後に所謂「ガラケー」と呼ばれる日本独自の技術体系が発展した時期でもあった。スカイメールから始まって、着メロ、カメラ、折りたたみ式、iモード、お財布ケータイ、パケ代、チェーンメール、メル友、そしてmixiの誕生。ミクシィの頃にはiPhoneが普及し始め、そこからは更に加速度的な発展を遂げていく。

第二発展期。

mixiといふ日本独自のSNSは僕らの世界観を一気に変化させる。

  • mixiの設立は2004年。
  • 2ちゃんねるは1999年。
  • ニコ生が2007年。
  • アメブロ2004年。
  • Twitter2006年。
  • Facebook2004年。
  • Skype2003年。
  • Wikipedia2001年。
  • Google1998年。
  • Microsoft1981年。
  • Apple1976年
  • ヒューレット・パッカード1939年。
  • IBM1911年。

mixiといふ名の共有場

社会といふ概念が家と会社もしくは学校と職場だけだった頃、酒場や街は公私の間の共有場であった。インターネットの発展が新たな階層を産み出し、新しい共有場ソーシャルネットワーキングサービスSNSが家でも会社でも学校でも職場でも、酒場や街でも「どこでも」「いつでも」「つながれる」個の集合体が現れた。

僕らはmixiを最初は私的に個人利用して後のTwitter、Facebook、Instagramと新たな媒体が誕生するたびに試しては経験し、新たな自分の枠組みでパブリックとプライベエトを媒体によって使ひ分ける生き方を会得した。自然と、子供が言葉を覚えていくかのやうに。

ケータイ電話が普及して一家に一台の固定電話システムから一個人に一台の携帯電話システムに変化したとき、僕らはより個を意識するやうに必然的になった。私的といふよりは個的な、公的といふよりは集的な共有体。これから更に進化して創造と破壊を繰り返し、合併吸収、拡大淘汰の波を僕らはケータイとともに泳ぎ続けなければならない。

より顕著に、自己プロデュース能力が求められるし、自分アップデート能力が求められる。

個的な権利のための闘争 自分アップデート

自分が今まで生きてきた経験、勝ち得た成功や知識が増えてこれば、そこからのアップデートはなかなか難しくなってくる。が、コンピュータが日々アップデートして進化していくやうに僕らも不具合を修正して、場合によってはOSを変へて、変化に対応していかなければならない。

ユビキタス、フレキシブル。

過去の自分も今の自分の一部であるから、その全てを有機的に繋げた上で、ぼくはぼく自身をアップデートしていかうと思ふ。

Twitter、Facebook、Instagram、すべてはぼくの一部である。

自らを分けるもの(自分)をアップデートしていくこと。

まとめ

失はれた20年とはよく聞くけれど、何も得ず、何も感じず、ただ生きてきただけの人間は、きっと「失はれた」と感じるであらう。この20年、もちろん失ったものもあるけれどもその代はり得たものは計り知れない。こちらからすれば「勝ち得た20年」であるし今後も選択しながら次の10年くらゐは生きていきたい。

これを書くのもそのためで、羅針盤よりもビート板よりも僕らにとってはケータイが、何よりも方向を示してくれる。といふよりも、求めれば与へられる、昔から言はれてきたことが今だに通用するツールがケータイである。

いつの間にやら10月で、気づけば落ち葉、冬なんてすぐにやってくる。

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