essay【自分への投資をやめたらそこで終ってしまふといふことについて】コロナワクチン1回目接種の備忘録の話

随筆・本・書評

台風が近づいてきてゐる。ここ最近、気候変動といふものが目に見えて実感、体感するほど目立ってきてゐる。今年は台風がまだ少ないが、それでもよくわからぬ軌道を描いたり、台風ぢゃなくても全国各地で局所的に酷い雨で、今年は伊豆地方が顕著にやられた。

この日本といふ国に住む以上は、さういった自然の自然たる姿に怯へて過ごすか、はたまた共存して過ごすのか、その2択の中で選択して生きざるをえない。悠久の歴史のなかで紐解けば、日本の歴史は畢竟それは、日本の自然の歴史である。

そんなことをつらつらと書く余裕があること(このやうに徒然なるままに文章を書く余裕があること)はとても僕にとっては健全である。余裕なき(時間的にも精神的にも肉体的にも金銭的にも)姿は焦燥感と不安定さの塊で、とても傍目からはきっと見てられないほどに心配になる形相で、ぼくは時間の中を彷徨ってゐるやうに映ることであらう。

なんで、そんな少しばかりの余裕が今はあるのか(といっても金銭的にはまったく余裕がないので、その点だけは不安定極まりないのだが、)新型コロナのワクチンを打つ時間を、余裕を持って設けたからである。備へあれば憂ひなし。とりあえず1回目のワクチン接種のまとめをここに記しておかう。

ワクチン1回目接種まとめ(当日と翌日を休みにして、毎週のお稽古も休みにした=つまりは時間があるといとふこと)

常滑市のワクチン接種は予約段階から近隣の市町村に比べて、比較的スムーズに実行されてゐたかと思ふ。(比較対象が少ないが個人的に聞いた話をベースに話してゐる。事細かなデータで比較したわけではない)

毎週水曜日の10時に枠が増へる、といふ情報を元に、水曜日の仕事のお昼休憩中に予約サイトから予約を取ったらスムーズに取れた。ワクチンを打ちたい人間は、その点、流れに逆らはなけば、順調に予約も僕に限らずどうやら取れたのだらうと思ふ。

高齢者の接種は常滑市は先に進んでゐたから、働き世代の僕ら30代や40代または20代や50代も、スマホを活用する世代ならば、それほど戸惑ふこともなく、サイトから予約をとれたのではなからうか。

一点、僕が個人的に不安だったのは、かかりつけ医が”今はない”人にとって”どこで接種するのが妥当なのか”といふ点であった。そんなのどこで打っても一緒だよ、といふハートが強い人には関係ない話かもしれないが、メンタル弱めの僕にとってはどこで打つかを結構迷った。(結局、定期的に通院してゐる市民病院の隣である集団接種会場をぼくは選んだ。理由としては、何となく市民病院が近い方が安心だったから)

あとは、個人的には”持病があるのかどうかわからない曖昧な状態故に通院してゐる”から、事前に書く問診表にはどう書けばよいかわからない点があり、でもそれは現場で丁寧にヒアリングされながらその場で書いて頂けたため問題はなかった。不安を不安のまま受けるとそれが緊張に繋がり倒れたりするかもしれない。接種後配られた注意書きに「血管迷走神経反射」といふものが書かれてゐた。きっと僕が子供の頃になった状態はそれであらう。それがわかって逆にちょっとスッキリした。

ぼくが受けたワクチン接種1回目の備忘録を書いておこう。

ファイザー、集団接種、副反応

ワクチンはファイザー製のワクチンで、当市で受ける集団接種用ワクチンはすべてファイザー製のものであるかと思ふ(これまでの状況を見ると)

会場は、新庁舎で、駐車場が市民病院と併設されてをり、その点、あまり来たことない人や初めての人には分かりづらいのかもしれない。駐車場の整理員は居たが、駐車場が市民病院と新庁舎で一緒なのが誰にでも親切な作りといふわけではない(完成時は分かれるのか僕は知らない)。新庁舎が完全に完成したらどうなるのか、その点は気になるところではある。変なところで余分な事故が起こらないやうなスムーズに駐車ができる余裕のある誰にでも親切な作りになればよいなと個人的には思ふ。

テクテクと歩いて新庁舎に向ふ。注文の多い料理店のやうに、順番にチェックされながら奥へと進む。受付、待合までは非常にスムーズで、接種会場までは滞りなく進む。

受付を済ませて、奥の接種場へ。ここでもスムーズで、名前の確認やアルコールアレルギーチェックなどしてる内に「はい」といふことで、打ち終る。早い。接種自体はそれほど痛くはない。多少の痛みは瞬間当然ある。まあ個人差はあるであらう。

その後、奥で、アナフィラキシーや体調異変対応の為、15分ないし30分間の様子をみる。椅子に座って静かに待機する。子供のころ一度倒れた経験があるから、ちょっと不安になりながらも待機する(ここで前述した配布された接種後の注意書きの紙にアナフィラキシーと共に血管迷走神経反射ってのが書いてあって長年の謎が多少緩和された)。僕よりも前に接種したであらう人たちが1人また1人と帰っていく。看護師の方が「看護師」と大きく書かれたネームプレートを胸にナンバリングしてゐるので、その視覚的安心感もあったかもしれない。落ちついて座って待つ。

時間が過ぎる。特に何も異変はなかった。部屋を出よう。出る間際にも、「お変りはなかったですか?」といふやうな言葉をかけられた。はい、大丈夫でした。ありがとうございます。トコトコと部屋を出る。今倒れても大丈夫だらう、ひとが一杯居るから、そんな安心感も廊下を歩きながらあった。さういった意味では、いま言はれてゐる自宅療養で1人といふのは怖い。

帰ってからのことは、本来の予定をすべてやめて(毎週通ってゐるお茶のお稽古)、自宅待機で過ごした。ちょっとだけ夜になると腕が痛くなってきたが、聞いてゐた話と一緒である。「腕がいたくなるよー」とりあえずシャワーを浴びて当日は特にゆっくりした。その後、ちょっと熱っぽいか?と思って測ると37.0℃。若干の微熱かな?まあ安静にしよう。就寝。

朝起きると、腕がやはり痛かった。熱はない。今日も普段の生活でゆっくりとする。途中熱っぽいかなと思って測ると37℃か36.9℃、まぁ支障ないレベルだ。熱はないが、少しボゥっとする、精神的なものなのか、腕の痛みからくる肉体的なダルさなのか、それはわからないが打った側の接種部位が痛いのと肩が重い。

……、これが1回目のワクチン接種から翌日までの備忘録。

バーテンダーとしての表現性と会社としての方向性、また自分への投資(最近抑へてゐた表現欲と勉強欲が反発するやうに増へ買ってしまった本)

さて、そんなこんなで、病人のやうに家でゴロゴロしてるとたぶん逆に調子悪くなりさうだったので、いつもの休みのルーティンで少しだけ動いた。勿論激しい運動や酒を飲むなどの行為はしてゐない。本屋に行って、来年の手帳と目に留まった本を買った。

「アフターコロナのニュービジネス大全」

ぼくら飲食業界にとってはこのコロナ禍は結構な死活問題である(勿論言はずもがな他業界も、であらうが)。頁をパラパラパラとめくると、うんうん、さうさう、といふやうなことが書いてあった為、購入してしまった。今ぼくらは”変化”を”フレキシブル”に行ふことが求められてゐる。それも”スピーディー”に、迅速に迅速に。

あとはカルディでレモンチェッロを買ってしまった。といふのも、陶器製のショットグラスとのパッケージ売りで、ふむふむ、かういふのはいいよなぁと思ってゐたからだ。値段も、よい。かういふのがいいよなぁ、やりたいよなぁと思ひつつ、”やってゐるかどうか”が問題なのだと改めて思ふ。やること。まず、やる。やってからものを言へ。

帰ってきて、また手にとったのは、

「2030年すべてが加速する世界に備えよ」

感覚的には、ジャックアタリの21世紀の歴史の”今”にフォーカスしたバージョン。しかし、もう一度しっかりとちゃんと読む。嗚呼、時間は有限である。感想はまたの機会にしよう。

資産運用と自己投資は同じである(目的は何なのか?どのやうに目標に向かっていくのか?それ自体が目的化してないか?他人のことが気になる?)

さてさて、翻って、コロナワクチン接種の話から、アフターコロナの話に進み、畢竟「ぼくらは(ぼくは)どう生きていくのか」といふ話に行き着くのだが、ここで言ひたいのは”資産運用と自己投資は結局のところ同じこと”といふことである。どちらも投資といふことに変はりはないし、どちらも”それだけでは本末転倒になる”といふこと、つまりは”目的はなんなのか”といふことである。

  • 何のためにあなたは資産運用をしてゐるのか。(ゴールを決める)
  • 何でそれを選んで使ってゐるのか。(目標と手段を決める)
  • ゴールを見失ってゐないか。(手段の目的化)
  • 他人に振り回されてゐないか。(目標の曖昧化と喪失)

一度、時間を見つけて、もう一度自分自身を見つめ直す時間を設けるのが何よりだと思ふ。

  • 年間の予算収支計算(金銭的余裕を生む為に)
  • やりたいことまとめ(ゴールを決める為に)
  • やるべきことまとめ(ゴールに到達する為に達成すべき目標地点)
  • 体調管理と整理整頓(目的を見失はない為の基礎として)

さてさてさて、ここへきてゴーギャンの先見性はやはり僕の感性に響いてくる。曰く「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

来る2回目のワクチン接種の日を待ちながら、日々をまた過ごし、その過程でまた新しいことに挑戦しつつ、今までのまとめや今後について考へていかうと思ふ。さういった意味で僕にとってのコロナワクチンとは、生きることについて見つめ直す良いきっかけになったし、コロナ禍自体で言へば、大切なひと大事なこと重要なものについて色々を改めて曝露させ気づかせてくれた”鏡”的な要素が幾分かあるところを見れば昔の人が鏡物を書いた理由も少しは感じられる、そんなことを思った台風前の雨の夜。

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