茶道日誌005 夜学蓋置(やがくふたおき)

永瀬豊の場合

ことしも残すところあと僅か(数へてみるとあと15日)もういくつ寝るとお正月と言ってもよいぐらゐに、残り僅かな2021年令和3年。辛丑(かのとうし)の時期も終はりを迎へる、壬寅(みずのえとら)へと推移していく経過地点。今年の初めにスタートしたお茶も、もうすぐグルっと1年廻りさうである。茶道を始めていなければ僕はきっと今頃、腐って澱んで濁ってゐたであらう。

師走 小雪 熊蟄穴(くまあなにこもる)

外は雨が降ってゐる。

明日からまた気温が下がっていくやうである。

全国的には吹雪くところもあるやうで本格的な冬到来、といふ感じである。

天変地異それ自体が『自然』と呼べるやうな環境下のこの日本列島では、

茶道が発達し様々な生活様式、生き方、佇まいすべてが必然的に漸進的に、

形作られてきたのであらうなと、事あるごとに感じてゐる。

夜学蓋置(やがくふたおき)

茶道日誌も、毎週書けば良いものも、一週空き、二週空き、気がつけば数ヶ月、

時間の経過と身体の具合と、精神の状態がタイプライターに追ひつかずに、

今ようやく筆を取ってゐる。

夜学、良い名前である。

名前がそもそもすべてよくよく考へてみると美しい。

夜学蓋置はまた物によっては窓がハート型にも見えモダンと云へばモダン。

否、温故知新、後世の僕らから見たらさう見へるといふことなだけで、

何も作者が当時さう意図した物でもなからう。

新たな『意味』がそこに生じたまでで、どこまで行ってもそれは「夜学蓋置」であり、

伝統の中に語り継がれてきたモノとは元来そもそもさういったモノ、

つまり、いつの時代にも『時代の方がアジャストしてくる』そのやうなモノなのであらう。

炉とめぐる季節

風炉の時期から中置きを経て炉の時期に、

めぐる季節にめぐるお点前、

それに伴ひめぐる茶道具と茶花掛け軸。

流れるやうに巡る季節を、どこで区切るか。

一年単位。

一ヶ月単位。

一週間?

一日一日?

そもそも区切りなどない中で生きるための一つの知恵としての区切り。

それは、暦、例へば七十二候であったり、二十四節気であったり、

六十干支であったり十二支であったり、

そのエッセンスが凝縮還元されたのが畢竟「茶道」なのであらう。

それはつまり僕が求めてゐるものが『そこにすべてある』といふこと。

終はらないものに終はりをみつけ、終はりあるものに永遠をみつけ、

めぐる季節とめぐるお点前と。

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